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和夫一家殺害事件

さすが朝鮮人、恩を仇で返す腐れ民族
掲載日時:2012-01-23 18:41:46

記事・内容
日韓併合時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。

普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。

貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与え、村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたがその数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。

けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。 和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害された。

その日、彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たち13人が、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。

間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。

このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。

それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。 (キム・ソンス君は、ここで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。

そして彼女は集団強姦の途中で虐殺され、Dはふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、彼女の内臓をひきずり出して、まき散らした。

和夫さんには「ひみこ」という娘が一人いた、普段から模範的で良い子だったひみこは、学校が終わって家に戻り、両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。

当時、ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。その後、孤児となったひみこは、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。

結局、ひみこは9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。ひみこは小学六年生だった。

和夫の財産は、和夫が精魂込めて大切に育てた朝鮮人孤児達の手に丸ごと渡り、この事件は、村人達の沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。
情報元
「親日派のための弁明(著者キム・ワンソプ。キム・ソンス君の証言)」
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